2014年12月1日月曜日

正月の干支づくりの下川原焼土人形

手仕事専科には、津軽の民藝といえる「下川原焼土人形」があります。
津軽、弘前に7年を過ごしました。
津軽は、裕福な土地柄です。
1箱のりんごが、昭和の高度成長期には、¥7,000で取引されたといいます。
そして、穀倉地帯です。
わたしの赴任した「星と森のロマントピアそうま」は、相馬村の第3セクターでした。
ハンサムな男性が、多くてびっくりしました。
彼らの言うのには、相馬男に目屋女といい、相馬村の美男にたいして、目屋の女性は、小顔で美人です。
林檎畑でほっかむりして働く女性は、本当に美人でした。
そんな津軽の悪戸地区の下川原焼土人形は、寒冷地の冬の玩具制作です。
春先には、秋田県の方に売りに歩いたと聞きます。
わたしのお取引の阿保正志さんは、因縁の方です。
ページを見ると分かりますが、ロマントピア時代に施設のモニター会員として、地元の方々を募りましたが、阿保さんのお母さんにご協力いただいておりました。しっかりとしたご意見を持ち、随分とアドバイスを頂戴いたしました。
金魚ねぶた製作者の山内和人さんから、ご紹介いただいて阿保正志さんを訪ねて、はじめて、そのことが、分かりました。
下川原焼土人形作家の阿保正志さんが、息子さんということに因縁を感じています。
ちょうど、これからの季節は、干支と春先のひな人形にご注文が殺到します。
写真で、ご紹介いたします。

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