2011年4月3日日曜日

福田製紙所の「和紙の里」を訪れて。

 今日は、益子からの戻りで「下野・会津・津軽 手仕事専科」お取引の工房「福田製紙所」の「和紙の里」を訪ねました。かねてから一度取材をしたいと思っておりましたが、今日やっと実現いたしました。
さすがに福田弘平さんの構想らしく、すばらしい施設でした。烏山和紙会館からは少し離れて、那珂川沿いに広い敷地にありました。ちょうど娘さんの福田博子さんが、待機していて恐縮するほどにいろいろと詳しく惜しみなくご説明をしていただきました。少しは、知識がありましたが、今日は、知らないことも多く随分と勉強になりました。有難うございました。ブログから、お礼を申し上げます。

 烏山和紙の起源については、健保年間(1213~1218)那須十郎が時の太守那須肥前守と謀り、越前国より紙漉き立て職人を雇い入れ、那須奉書を創製したのが始まりとされています。
 烏山和紙といえば、程村紙に代表されるのですが、程村紙は、江戸時代には、壇紙・十文字紙・西の内紙・桟留紙とともに那須紙と称されていました。程村紙は厚手の和紙で、烏山町下境地区にある地名から由来しており、また、その強靭さと優雅さから広く知られ、厚紙の至宝とよばれています。卒業証書・財布・押絵などに利用され、また山あげ祭りの山などにも使用されています。

 津軽凧絵でねぷた絵師の山内和人さんを訪ねたおりに、凧絵の大きさを「西の内O枚」といわれるのを聞いて、茨城県の西の内が、和紙の産地であることからとても驚きました。博子さんによると西の内で和紙を漉く業者は、2軒になってしまったという事でした。栃木県では、こちらの福田製紙所さんと野州麻紙工房だけになってしまいました。(両工房とも手仕事専科のお取引となっております。)
 
 工場の中を拝見いたしましたが、大変に細かな手作業が多いのに驚きました。楮を煮た繊維からひとつひとつごみを拾う作業は、本当にコツコツとした作業です。これらの作業から、たくさんの紙を漉くことになるのですから、伝統工芸(産業)というのは、一言では言い得ない大変なものだと思いました。これらを継承するためには、プロダクトアウトから次の「流通の販路」に導く作業が、とても重要な仕事と感じました。

 写真から、「和紙の里」をご紹介いたします。そちらで働いている方々は、みなさん、とてもすてきな方々でした。ぜひ、烏山和紙のご愛顧をお願いいたします。
手仕事専科   http://tesigotosenka.com
福田製紙所   http://tesigotosenka.com/yasyuumasi.html
野州麻紙工房  http://tesigotosenka.com/yasyuumasi.html

●画像をクリックすると拡大します。
那須烏山市内から、下野大橋を経て、南に下ります。
那珂川沿いの田園地帯にはなれて、あります。
今年採れたばかりの楮を説明してくれている
福田博子さんです。烏山和紙で使うのは、
大子町で作付された良質の楮です。
楮は、畑で育成し株を残して毎年刈り取ります。
左が、外皮をつけたままの楮です。
右が外皮を取り除いた白皮(靭皮繊維)です。
和紙の里で作られている「楮畑」です。
本格的なものではありませんが、毎年冬季間の植物の
活動が止まる時期に刈り取ります。
刈り取られた後の「楮の木株」です。
春に出てくる新芽が、一年間で収穫になります。
これらは、楮を蒸す釜と木の樽です。
これらの釜で蒸すと面白いように
皮をむくことができます。

刈り取られて、約70cm程度に揃えられた楮の木を
釜で蒸して、皮をむきます。
これらは、それらの外皮のついたままの楮皮です。

外皮をむいた白皮(靭皮繊維)です。
これからが、和紙づくりの仕事となります。
白皮をソーダ石灰をいれて、約2時間ほど煮込みます。
こうすると繊維が柔らかくなり、写真のように白く
ばらばらになります。
この写真は、アルカリ処理をした後の
楮繊維です。
まるで、揚げたてのそうめんが、ざるに載っているようです。
ゴミをとります。
やわらかくなったコウゾから黒い皮などの
細かいゴミを取ります。
よくとらないと出来上がった紙の中に黒い
部分などができてしまいます。
叩階(白皮をせんいにする)
ビーダーという機械を使って、せんいをばら
ばらにします。
昔は、木で叩いていたので、叩解(こうがい)
といわれます。とても大切な行程で、紙質に
おおきく関係します。
細かな繊維状の楮繊維を見せてくれました。
これから先が、紙漉きにうつります。
ほんとうにきれいな真白の繊維です。
ネリ
トロロアオイ(黄蜀葵)という中国にあった
植物、根の部分をたたいてつぶすと、どろどろ
の液体が出てきます。これを混ぜることによっ
てパルプを水に浮かせます。
ネリは、温度がたかいとその「糊化性質」を
失ってしまいます。
ですので、和紙作りは、昔から寒い冬季間の
仕事でした。
紙を漉く作業です。
写真は、栃木県の伝統工芸士の小松さんです。
伝統工芸士は、こちら福田和紙製作所では、
福田弘平、長弘氏との3人だそうです。
小松さんの仕事を見ていましたが、長年の経験から習得する
コツの部分が多いようです。
和紙の場合、流し漉き(水に浮かべた繊維をすくう、ゆする、流す
ことをくりかえして繊維が均一になるようする方法)で漉きます。
このとき、ネリというどろどろの液体を混ぜて繊維が
水の中で均一にういていることが重要なポイントだそうです。
 

漉いて、重ねてゆくのですが、ごみや小さな不純物
が紛れており、ピンセットで取り除きます。
漉き上がったばかりの和紙です。
流し好きで漉いた場合、そのまま重ねても
、あとで1枚1枚きれいにはがれます。
溜め漉きのときは紙の間に布をはさみます。
水切りのプレス機です。
漉き終わった和紙は、重ねたまま、板の間に
はさんでプレスして水を切ります。
徐々にプレスを強めながら、1日がかりで水分をぬきます。
写真では、見えませんが、この中に漉いた紙が
挿まれています。
いくつかの大きさの紙漉きの箱です。
これは、ハガキの型です。
紙漉きではなく一つずつ繊維を流し込むのかと
思います。これらからは、耳付きの名刺やはがき
など、大変に手間暇をかけて作ります。
ハガキサイズの和紙の天日乾燥です。
今日は、透かしの原理を伺いました。
栃木県の卒業証書を作られているのですが、これが、型紙です。
紙漉きの紗に型を張り付けて、これから紙を漉きます。
透かしは、2枚あわせの紙です。
1枚目は、透かしのため、型が抜けて漉かれるのですが、
重ねるもう1枚は、普通に漉きます。
書を書く面は、透かしの抜けていない面を使います。


これが、あの有名な「みつまた」です。
見本に植えられているのですが、きれいな花が咲いていました。
必ず、枝が三つに分かれるところから、「みつまた」といいます。

これが、「楮」です。
数年間、刈り取ってないので、大きな枝ぶりです。
和紙に使うのは、和紙畑で栽培されています。
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