2017年6月22日木曜日

現代津軽こぎん刺作家 貴田洋子氏のこと

今日は、現代津軽こぎん刺作家 貴田洋子さんを訪ねました。
手仕事専科には、弘前こぎん研究所があります。所長である成田貞治氏とは、既に20年来のお付き合いですが、この手仕事専科のweb citeのスタート時に並々ならぬお世話になりました。
彼の公平無私のお人柄が、津軽こぎん刺の普及に貢献しています。
今回の訪問も彼のご紹介でした。
ホテルからタペストリーのお問合せがあり、それを電話越しに聴いていた成田社長から、現代こぎん刺作家である貴田洋子氏の作品をご紹介してくれたことによります。
「貴田洋子の世界」という小冊子からは、その無機質の画像から、イメージが広がりませんでしたが、直にそれらの作品を拝見するとその温かみに180度印象が、変わりました。
素晴らしい作品群でした。
彼女は、既に長いことこぎん刺しに関わっていますが、個展と日展、現代工芸美術展、埼玉県展に出展しています。
それらのものは、販売することなく、所蔵しています。

彼女は、スタート時には、幾何学的なもどこ(文様)の抽象的な作品でしたが、2000年より、師事する故後藤和氏から、動物を加えることを勧められ八咫烏(やたがらす)を刺すことになりました。
幾何学文様にあう八咫烏(やたがらす)を入れることで、作品に深みが増しました。
物語が加わったことになります。
また、同様にこぎん刺しに色を加えました。
干渉し合う色の使い方です。
すばらしい作品群です。
現代津軽こぎん刺作家は、日展でも貴田洋子氏しか、おられません。
唯一の作品です。

この度の御縁から、彼女の作品を手仕事専科にて、ご紹介することになりました。
八咫烏(やたがらす)をテーマにする作品は、古代の『日本書紀』や『古事記』に登場する素晴らしいストーリーを持つ作品です。
八咫烏の作品は、吉祥の作品と言えます。
多くの方々にお伝えしたいと思っています。


※八咫烏(やたがらす)
八咫烏(やたがらす、やたのからす)は、日本神話において神武東征(じんむとうせい)の際、高皇産霊尊(タカミムスビ)によって神武天皇のもとに遣わされ、熊野国から大和国への道案内をしたとされるカラス(烏)。一般的に三本足のカラスとして知られ古くよりその姿絵が伝わっている。
八咫烏は、日本神話において、神武天皇を大和の橿原まで案内したとされており、導きの神として信仰されている。また、太陽の化身ともされる。
熊野三山においてカラスはミサキ神(死霊が鎮められたもの。神使)とされており、八咫烏は熊野大神(素盞鳴尊)に仕える存在として信仰されており、熊野のシンボルともされる。近世以前によく起請文として使われていた熊野の牛玉宝印(ごおうほういん)にはカラスが描かれている。
咫(あた)は長さの単位で、親指と中指を広げた長さ(約18センチメートル)のことであり、八咫は144cmとなるが、ここでいう八咫は単に「大きい」という意味である。
なお、八咫烏は『日本書紀』や『古事記』に登場するが、『日本書紀』では、同じ神武東征の場面で、金鵄(金色のトビ)が長髄彦との戦いで神武天皇を助けたともされるため、八咫烏と金鵄がしばしば同一視ないし混同される。

三本足の意味八咫烏が三本足であることが何を意味するか、については諸説ある。熊野本宮大社では、八咫烏の三本の足はそれぞれ天(天神地祇)・地(自然環境)・人を表し、神と自然と人が、同じ太陽から生まれた兄弟であることを示すとしている。また、かつて熊野地方に勢力をもった熊野三党榎本氏宇井氏藤白鈴木氏)の威を表すともいわれる。
しかしながら、『古事記』や『日本書紀』には八咫烏が三本足であるとは記述されておらず、八咫烏を三本足とする最古の文献は、平安時代中期(930年頃)の「倭名類聚抄」であり、この頃に八咫烏が中国朝鮮の伝承の鳥「三足烏(さんそくう)」と同一視され、三本足になったとされる。また1939年(昭和14年)に、「天皇の命令」の形式をとる勅令(昭和14年勅令第496号)によって制定された日中戦争従軍記章たる支那事変従軍記章は、その章(メダル)の意匠に八咫烏を用いるが、これは三本足ではなく二本足であった。一方1931年(昭和6年)にはサッカー協会のマークとして三本足の鳥を図案化している、これは中国の故事に基づいたものと言われているが、日本サッカー協会のホームページでは、三足烏(やたがらす)と表現している。
元々賀茂氏が持っていた「神の使いとしての鳥」の信仰と、中国の「太陽の霊鳥」が習合したものともされ、古来より太陽を表す数が三とされてきたことに由来するとする見方は、宇佐神宮など、太陽神に仕える日女(姫)神を祭る神社(ヒメコソ神社)の神紋が、三つ巴であることと同じ意味を持っているとする説である。
中国では古代より道教と関連して奇数を表すと考えられており、中国神話では太陽に棲むといわれる。陰陽五行説に基づき、二は陰で、三が陽であり、二本足より三本足の方が太陽を象徴するのに適しているとも、また、朝日、昼の光、夕日を表す足であるともいわれる。

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2016年12月18日日曜日

奥三島のマタタビ米研ぎ笊の将来

先日は、工房間方の菅家藤一さんを訪ねました。
数日前の寒気から、村への一本道も細い河川も美しい雪化粧に覆われていました。
久しぶりに会う菅家さんは、なぜか若返ったように見えました。
作業場も綺麗に整頓されていて、私を迎えてくれました。
春先のTVを見ての御注文で、30個近い数が、入りました。
TV効果は、驚きです。
しかし、マタタビの材料が切れてしまい作れません。
そこで、今秋のマタタビ材の予約を受けることにしたのですが、今では、50個を超える数になっています。
年内には、いくつかが出来て、1月には、全て、納められる予定だといいます。
マタタビは、猫にマタタビの「マタタビ」です。
節の間の枝を使います。
皮を剥いで、4つに裂いて、厚さを半分に割いて厚みを揃えます。
マタタビの材料は、間方の近くの山には、沢山生えています。
彼は、山を育てるといいます。
マタタビの切り株からは、素姓の良い枝が、何本も芽を出して、数メートルも伸びます。
3年過ぎると枝分かれするけれど、3年目が一番熟成して、細工ものには、適しているといいます。
切取らなければ、素姓の良い材は、芽も出しませんし、そだちません。
菅家さんは、工芸館の館長を7年間
勤めたといいます。
そのことから、全国工人祭りを充実させて
現在の基礎を作ったといいます。
マタタビ米研ぎ笊の底です。
編み方に技術と技能を要します。
そこは、7廻り半といいます。
そこの広さも5列とも7列ともで決まります。
 
確りとしたマタタビ米研ぎ笊です。
間方の人たちは、1日で1個作ります。
菅家藤一さんは、2個作ります。
「なんで?」と言われるそうですが、
手早なことと段取りがそうさせるのでしょうか。
美しい米研ぎ笊です。
特に笊口が確りとしているのが、わかります。
編み組細工のうまさは、笊口と持ち手が、決めてです。
彼の作りは、しっかりとした工夫をしています。
菅家藤一さんの名は、御祖父さんが付けたといいますが、
藤一は、「ふじ蔓(細工)で一番」の意でしょうか。
奥さんが、そんな話をしてくれました。
 
こちらの工房では、いつも数人の方々が、
彼から編み方を習っています。
2泊3日の体験ツアーがあって、1個の米研ぎ笊を
作ることができます。
時期的には、3月4月頃が、一番良いといいます。
手仕事専科で、企画したいと思います。
工房間方は、菅家藤一さんが、近在の老人たちに編み方を教えて、組織しています。
菅家さんは、63歳ですが、作り手で一番若い方は、75歳、そして高齢の方は、94歳になります。
高齢の方は、マタタビの材料取りで、山に入ることが出来ません。
菅家さんが、採ってきたものを彼らに準備してあげることになります。
「帆待ち」という言葉を知っていますか。
田舎では、帆待ち稼ぎといって、本業以外のアルバイトの仕事のことを指しています。
漁師が、船の帰るのを待つ間にするアルバイトとの仕事のことです。
介護保険料から、老人の手に入るのは、精々、4万円程度でしょうか。
帆待ち仕事のマタタビの米研ぎ笊では、1カ月で、年金と同じくらいの収入となります。
孫への小遣いにもなるでしょう。
しかし、後継者が、いません。
一番若い方が、75歳ということから、分かります。
社会的な変化が、もたらしています。
奥三島編組協議会や友の会の活動が、それらをサポートしています。
菅家藤一さんのような、情熱を持つ方々の活動によるのかと思います。

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2016年10月2日日曜日

宮本工芸と会津木綿のジョイント

手仕事専科(下野・会津・津軽 手仕事専科)では、実に160近い工房をご紹介しています。
その中でも人気なのが、津軽では、あけび蔓細工こぎん刺しブナコなどです。
そして、会津では、会津木綿イゲタ醤油起上り小法師と続きます。
どれをとっても職人さんの頑なな思いがあり、優れモノです。
㈱とぴい企画では、これらの工房をジョイントした商品を手仕事専科のブランドとして作りたいと考えております。
そのような訳で、あけび蔓細工の人気者2種と会津木綿の内布に適した柄から、オリジナルの商品を試作いたしました。
ご覧ください。
もちろん、ご注文に応じて承ります。
あけび蔓細工と会津木綿(内袋付き)の
コラボ商品です。
妻胴張ホラ編リング手(小)
33×15×22 材 あけび蔓
¥20,000
会津木綿縞柄 №532
内袋 ¥6,000

薄型ホラ編リング手(中)
33×15×22
 材 あけび蔓¥17,000
会津木綿縞柄 №819
内袋付き ¥6,000
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精麻をご存知ですか。vol003

手仕事専科のなかでもご要望の多い精麻ですが、その効能は、古代から知られていました。
それは、その精麻のもつ波動とも関係しています。
私には、波動については、詳しくは知らないのですが、麻は、波動がよいといわれています。麻を身に纏うことで、気がよくなるといわれています。

どうように 「弥盛地(イヤシロチ)」とその反対の言葉に「気枯地(ケカレチ)」についてもよく聞く言葉です。これもその土地の持つ気(波動)なのかと思います。
私の知人にケガレチをイヤシロチに改善することを生業としている方がいます。
改善法にその地に木炭を埋めると聞いています。
昔の人は、そういう形でも自分の家の土地柄に付いて、現代の人とは違ったある勘のような意識を持っていたのでしょう
 
麻は、波動がよいといわれます。わずか数カ月で3mにも届く大麻草の力は、はるか古代人には、脅威に映ったものと思います。
大麻草の皮からとれる靱皮を研ぎ澄まし、輝くばかりの繊維を 精麻 といいます。
日本人が昔からと呼び、生活を支える基本素材として使われていた日本古来の麻・大麻の本領はこの精麻にあり、神道ではこの繊維こそが清めの本質として今でも使われています。

水で身を清める禊ぎはよく知られており、今も神社の入り口にある手水舎は簡易な形で身を清めるものですが、より強い禊ぎを行なうためには海浜の塩水を用います。その考えから清めの塩があり、いまでも塩を用いる清めはよく知られております。それらで祓えないものを祓う本質的な清めを行なえるものが日本古来の麻・大麻の繊維です。
 
麻ひきの作業です。
黄金の眩いばかりの精麻
乾燥されています。
 

祝い大麻飾り
http://www.geocities.jp/hwfhb259/pic/s-32pic/s-32023.html
神社の巫女さんの額には、精麻が
結わえられています。
神社の緒鈴です。
精麻が、束ねられれいます。
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2016年10月1日土曜日

精麻をご存知ですか。vol002

昨日、大麻草から取れる精麻のできるまでを種まきから、順次画像でご紹介しました。
精麻の歴史は、、日本文化の歴史と理念にまでさかのぼります。
大和民族は、どのような道を経て日本列島に住みつき、大和朝廷を創ったのかもです。
その精麻から、作られる商品をご紹介いたします。
手仕事専科の商品です。
・野州麻紙工房 http://www.geocities.jp/hwfhb259/yasyuumasi.html
・野州大麻    http://www.geocities.jp/hwfhb259/oonusa.html
・麻の葉工房   http://www.geocities.jp/hwfhb259/asanohakoubou.html
・大麻博物館   http://www.geocities.jp/hwfhb259/taimahakubutukann.html

吊ランプ 丸1号
http://www.geocities.jp/hwfhb259/pic/s-19pic/S-19019-2.html
麻紙から作られる麻紙製品。
退麻ストラップ(短)
http://www.geocities.jp/hwfhb259/pic/s-32pic/s-32001.html
紡錘車と精麻
http://www.geocities.jp/hwfhb259/pic/s-32pic/s-32008-3.html
祝い大麻飾り
http://www.geocities.jp/hwfhb259/pic/s-32pic/s-32023.html
野州大麻(やしゅうおおぬさ)
http://www.geocities.jp/hwfhb259/oonusa.html
二重ネックレス
http://www.geocities.jp/hwfhb259/pic/s-36pic/s-36001.html
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2016年9月30日金曜日

精麻をご存知ですか。vol001

手仕事専科で人気の工房に野州麻紙工房があります。
それは、大麻畑で収穫される大麻草から、作られる麻紙になります。
大森由久氏は、麻の生産農家でありながら、麻炭や精麻、おがら、そして麻紙を作られる一貫経営をなされています。栃木県の鹿沼(特に旧粟野町)は、麻の特産地です。全国の80%以上を生産しています。従来は、問屋があり、一手に精麻を買い上げて、市場に流通させていました。
大森氏は、日本麻協会の会長をされておられ、麻の復権と普及の活動をなされています。
手仕事専科のスタート時に県立博物館の元学芸部長であった柏村祐司先生から、ご紹介を得て、お取引ができました。
それまで、大麻草の知識は、殆どありませんでした。自宅の土蔵に麻の精麻があり、祖父から麻のことを聞いたくらいです。その頃は、麻の生産は、戦後のGHQの占領政策から一般農家では生産が禁止されていたものと思います。

麻の生産については、実に実に大変な作業です。
大森氏を初めとして、多くの方のご尽力でしょうか、精麻が、そして、精麻から作られる「波動の良い麻製品」が、ブームになりつつあります。
実に多くの商品が、お求めいただいております。
・大麻博物館  http://www.geocities.jp/hwfhb259/taimahakubutukann.html
・野州大麻   http://www.geocities.jp/hwfhb259/oonusa.html
・麻の葉工房    http://www.geocities.jp/hwfhb259/asanohakoubou.html

今回は、精麻が、できるまでの一部を画像にてご紹介いたします。


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